スポンサーサイト

--.--.-- *--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
EDIT | 

**東日本大震災**

2011.03.14 *Mon
みなさま、とても言葉では言い表したせないくらい怖い思いを
したことと思います。

私は地震発生時、会社で仕事をしていました。
突然大きな横揺れが発生しなかなか揺れが収まらないままどんどん揺れが強くなり
これはやばいと思いすぐに外へ避難しました。

他の社員も続々と外にでてきました。空を見ると電線がものすごいグラグラと揺れて
たくさんの鳥が一斉に飛び立っていきました。
外にいてもゆらゆら揺れて酔いそうでした。

長い間揺れていました。やっと止まったかな?と思いオフィスの中に戻り数分後
またもや大きな横揺れが。
また外に飛び出しました。これは今までの地震とは全くちがう!
とても不安でした。

電話もすでに通じない、子供たちは?パパは?
オフィスに戻り会社のテレビを見ると宮城県の気仙沼で津波により町が飲み込まれる
映像が生中継で流れていました。
もう、信じられない光景です。今、まさにこの生中継で人が流されているのかと思うと
体の震えが止まりませんでした。

次に頭によぎったことは電車、家に帰れるのか?ってことでした。
電車はすでに運休を始め、再開の目途はたっていませんでした。
携帯から電話をかけても全く通じず、会社の固定電話から何度か電話をしたら
保育園と電話がつながり、子供の状況を聞くとすでにオットが迎えに来て帰ったとの
ことでした。
次に自宅に電話をすると奇跡的にも電話が通じオットがでました。
家の中はいろんなものが落ちたり破損したりしていましたが、家、家族ともに
無事であることがわかりました。

次に私の実家である茨城にも電話してみましたが全く電話が通じませんでした。
そして母方の実家のある岩手県釜石市に伯父と伯母が住んでいるのでそちらも
すごい心配でした。

電車はJRは終日運休であることが決定し、これはもう帰れないということが
わかると各自、歩いて帰宅可能な人たちはどんどん帰宅していきました。

私の会社は大久保通り沿いにあるのでうが、みんなゾロゾロと難民者のように
歩いていあました。
目の前のコンビニの公衆電話には長蛇の列。
私は帰宅は無理であろうと思い、とりあえずコンビニで食べ物を調達しました。
みんな歩いて帰宅する人が多くてだんだん私も心細く怖くなりどうしようか
と半分パニック状態になり、再びオットに電話をし車でなんとか迎えにきてもらえないかと
お願いしました。
何時間かかるかわからないと言われましたが、子供たちと会えないのは耐えられないし
なんとかお願いしてこちらに向かってもらうことにしました。

葛飾区から中野区まで・・・通常なら1時間前後あれば着く距離です。
18時半頃には自宅を出てくれました。
子供は・・・オットの実家に預けていこうとしたらしいですが義母も外出先で地震に遭い
その時はまだ帰宅しておらず、子供も連れてのお迎えとなりました。

無事に着くか余震で不安になりながらも会社では先輩といっしょに
テレビを見たり、実家に電話をかけてみたりしながら過ごしました。
途中先輩や社長とごはんを食べに行きましたが、無事に会社まで辿りつけるか、実家の茨城は無事か、
釜石市の伯父と伯母は大丈夫か・・・考えるととてもごはんがのどを通りませんでした。

夜に、奇跡的にも母親の携帯から電話があり、無事であるとの連絡がありました。
水道、電気が通ってないということですが大丈夫だとのことでした。

結局オットは6時間かって、夜中の1時に会社に無事着きました。
社長がごはんを食べた中華料理屋さんでテイクアウトでオットと子供らのごはんも
頼んでくださって、それを食べオットがぶっ通しで6時間運転をしていたので仮眠をしてから
帰ろうということになりました。
しかし、寝てても余震で怖くなって私は一睡もできませんでした。
明け方4時半ころに、もう怖いし帰宅しようということに。

そして・・・7時間ほどかかって土曜日の11時ころにやっと我が家に辿りつきました。
オットと子供らは近くにいるのでいいけど私はとっても遠いところで仕事をしているので
本当に不安でした。
今回はこれでもまだ震災を直撃したわけではないので、車でのお迎えはなんとか
可能でしたが、直撃だったらまともに帰ることはできないだろうなーと思いました。

その後、しばらく茨城とは連絡がとれませんでしたが、今日電気が通り電話が通じました。
茨城の実家はなんとか無事にやっています。

そして、釜石市の親戚の安否もわかりました。
車で逃げてるところ、津波に襲われ伯父はなんとか人に助けられて助かったそうですが
残念ながら伯母は亡くなってしまいました。


ついちょうど1か月前に伯母から手紙が届いていました。なのでいまだに伯母が
亡くなったことが信じられません。

悲しすぎます。
1日も早く復旧してほしいです。









COMMENT (2)  EDIT | 

COMMENT

ブログの最後の方を読んで、利加ちゃんになんと声をかけたらいいのか、言葉に詰まりなかなか書き出せなかったよ。
伯母様のご冥福を心からお祈りします。

地震、私も会社で遭遇しました。すんごく長くすんごく揺れたよね。皆あの時咄嗟にやな予感がしたと思う。どんどん不安になるし心細くなるし泣くたくなるしね。
私も帰れなくなり、歩いて帰るのをあきらめ、会社近くに住む友達の家に泊まったよ。旦那も無事でお店も壊れたりしなかった。その後お店は帰宅難民の人達の休憩所となりなんだか忙しかったみたい。翌日の朝、疲れ果てて寝てる姿を見たら、やっとほっとしたな、あの時は。

色々話したいことあるけど、今はなにかと落ち着かない毎日。気持ちが休まらないね。
でも元気にしててね。和くんと娘2人とぎゅっとつながっててね。そして落ち着いたらまた会おうね。
2011/03/17(木) 14:49:37 | URL | かおり #- [Edit
**フジタサンへ**

うちは母が東北だから向こうに親戚が多くて伯母は津波の犠牲になり、母の従姉妹は福島で原発で転々と避難してるよ。
私たちのために危険に立ち向かっている人がたくさんいるけど、その人たちのためにも早く原発事故がいい方向に向かうといいよね。

地震は未だに地震酔いが治らん(泣)
毎日家に帰るたびにあ~今日も無事に帰ってこれたと安堵…東京にいたってこんなだもん、被災地の人たちは不安に押し潰されそうなんだろうね。

1日も早く色んなことがいい方向に向かうといいね。
2011/03/31(木) 17:00:35 | URL | rika* #- [Edit

Comment Form


秘密にする
 


Copyright © Un sourie heureux* All Rights Reserved.
テンプレート配布者:サリイ  ・・・  素材:TripISM

*petit diary*



*profile*

rika*

Author:rika*
一部の記事はパス制に
させていただいてます。
記事をお読みになりたい方は
ブロとも申請、またはメールフォーム
にてご連絡ください。
追ってパスワードをお知らせ
いたします。

**my family**
オット : 37歳 O型
   趣味 : 野球・映画・音楽
       温厚なヒト。野球大好き
       子供大好き。
       毎日家族の為に遅くまで
       お仕事頑張ってます。

rika* : 37歳 コッテコテのA型
   趣味 : 買い物・hand*made・
       最近カメラ。昨年新しい
       デジイチ買いました。
       もっと上手に写真を撮れる
       ようになりたいです。
       使用カメラ:
       Canon EOS kissX4
       綾野剛に夢中。

長女 : 桜(sakura*)
   2004.1.30生 O型
   超wwマイペースな
   小学3年生。
   習い事のHipHopダンスも
   レギュラーに進級。
   本格的なダンスになってきました。

次女 : 萌花(mocca*)
   2008.7.4生
   穏やかな姉と違いすんごい
   気が強そう。。。
   4歳になりました。
   我が家で一番の大食い。
   そしてひょうきん。
   オバケ、虫大嫌い

共働きです。
超多忙だけどそれでも時間を
見つけては好きなことやりたい!

どうぞみなさまお気軽にコメントください♪



***



*counter*



mocca*はおいくつ?

*script by KT*



sakura*は・・・

*script by KT*



*recent entry*



*category*



*archives*



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



*mail*

名前:
メール:
件名:
本文:



*favorite*

このブログをリンクに追加する



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。